ブック○フで100円のハードカバーを買い、チョビチョビ読み進めてきた『功名が辻』(司馬遼太郎著)を読み終わった。寒中水泳を始める前にツマ先をチョンチョンと水面に触れさせるように就職活動をしている最中の独身男には、世間と家庭の大変さを感じて、多少重たい小説であった。以下、物語の内容に思いっきり触れまくるので、読むつもりで読んでいない人は読まないほうが良いかもしれない。と、いうか、読むつもりで読んでいない男は、この本は読まないほうが良いかもしれない。男の精神衛生というか幸せのためには、焚書して禁書目録に加えるほうが良いのかもしれない。
「千代、もういうな」 伊右衛門は、泣きそうな顔になった。千代が目をそむけたくなるほど無能な表情だった。 「申しませぬ。ただ、わたくしども夫婦の半生の努力が、結局は土佐の領民の命を奪う結果にしかならなかったのか、とおもうと、なんのためにきょうまで行きつづけてきたのやら、悲しかったのでございます。しかしもう申しませぬ。申しても詮ないことでございます」 「おれが馬鹿で無能だからか」 「早く申しますと、左様なことになります」 と、千代は苦笑した。 司馬遼太郎著『功名が辻』より 関が原の戦いの後、土佐二十四万石の領主となった山内一豊(伊右衛門)とその妻千代のやり取りである。 千代は、結婚以来、妻として「夫を立身させるための工夫や張り」を楽しみ、ことごとく成功した。賢すぎるくらい賢い頭脳を意図的に隠しノンキな妻を演じつつ(伊右衛門はうすうす気づいていたが)、夢見る少年を教育する母親のような気持ちを抱いていたようだが夫のプライドと自身を優先させるために一歩引いた態度を取り、何気ない行動や会話で夫の思考や行動を誘導する。彼女には伊右衛門は無能に見えて仕方がなかったが、その真面目な人柄に安らぎを覚えて、夫として十分に愛していた。 律儀だけが取柄のような凡人伊右衛門は、天才的なコミュニケーション能力、時勢の分析力、統率力、人望おまけにデザイナーの才能まで持ち合わせた天才千代と結婚してしまった。それは不幸の始まりではなかった。伊右衛門は千代の「作品」となり、千代のコントロールの下で自信と知恵を植え付けられ、織田、豊臣、徳川の時代の変遷の中で、地味に昇給していった。関が原の合戦で華々しい武功を上げなかったが、会議における政治的にツボ得た発言による政治的感謝と天下統治の布石として、家康から土佐一国を拝領した。しかし、土佐は関が原の大戦で敗戦側に回ってしまった長曾我部時代の土着の武士が、外来の新領主を歓迎するはずもなく、徹底抗戦も辞さない覚悟で頑張っていた。不相応な地位を得たが、異文化で育った野性的で勇猛なテロリスト達を恐れた凡人伊右衛門とその幕僚が取った占領政策は、武力による弾圧であった。その一環として、相撲大会を開催して、スポーツによる交流を装い指導者クラスの土着の武士を浜辺に集め、丸腰の彼らを四方からの一斉射撃で虐殺した。この暴挙に呆れ激怒した千代は、ついに夫の無能に我慢が出来なくなって本心を漏らしてしまう。千代は土佐土着の武士を平和的に新政権に吸収することで新政権の基盤を築きたかったのだが、政情不安による領地召し上げを恐れた伊右衛門とその家臣団は全く逆の政策を採ってしまった。夫は国主に納まる器ではなかったのだ。しかも、山内家は、もう夫婦だけで動くものでもなくなっている。千代は夫の死後、夫婦の夢であった一国一城を離れ、京都で余生を過ごす。 夫婦は、生涯互いを愛しつつ添い遂げた。 長々と粗筋を書いてしまったのは、①現代でも世界のどこかで起こっていそうな事件でもあり、そのオソロシサを表現したかったのもあるが、②司馬遼太郎の描く「山内一豊の妻」の、オソロシサを少しでも知らせたかったからである。拙筆では全然無理だった気がするが・・・。あらためて司馬遼太郎の偉大さを感じる。 ①「もし世界の指導者が皆女性だったら、戦争など起こらない」という説をどこかで読んだことがあるが、司馬遼太郎ではなかったような気がする。私はこの説の全面的な信者ではないが、実際にそのような世界が成立する現場を目撃したわけではないので、可能性を否定する根拠はない。世界の指導者が『功名が辻』の千代のような女性ばかりだったら、或いは可能かもしれない。己の有能さを自覚し政治的に完璧な男ばかりが世界の指導者なら、果たして平和は訪れるだろうか?かといって、無能な男は大権を持つべきではない。劇中の山内伊右衛門は、分不相応なポストについてしまったために悲劇を招いた。己の能力の限界を自覚し謙虚で部下の話をよく聞く、小心者で律儀、普通なら美徳になる性格が、そのまま裏目に出てしまった。歴史上の人物を素材にしているとはいえ、あくまで小説である、しかし、かなりの真実味を感じてしまう。 ②私は妻を持ったことはないが、もし常日頃「のんびり屋」とからかいつつも愛している女性が、実は自分の無能を見透かし冷静に操縦しているとしたら・・・。凡人たる私は、立派過ぎるくらいの女性と結婚でもしなければ、社会的に出世など覚束ないだろうが、しかし、もし掌で踊らされていたら、と思うと、複雑な心境になるのである。男って、出世って、人生って何なのだろう?司馬遼太郎は、一体どんなつもりでこんな物語を書いたのだろうか?まぁ、いいんだけろうけどね、本人が幸せなら。逆に、「有能な男と尊敬され頼りにされている」というシチュエーションを考えてみた。が、挫折した。それを装うような演技力の所産である可能性がある。い、いかん、読まなければ良かった・・・。 女に対する男の潜在的な畏怖心を、これほど見事に表現した小説は、そうあるまい。 蛇足。 長い学校生活の中で、読書感想文を褒められたことはないにもかかわらず、『滾滾録』で一番アクセスが多いのが『読書』のカテゴリである。折角人の目に触れるのだからもっとマシな文章を書けるとよいなあ。
by aqua-magna
| 2006-02-23 20:53
| 読書
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