社会的地位と乗り物のアナロジー
大多数の大人のデフォルトは徒歩である
速度と視点が違う
目的に応じて使い分けが可能?
持ち時間や経済状況や価値観その他の条件で最適解が異なる
等々
地位が高い人は視野が広いかというと、飛行機で移動する人は視野が広いかという問題に似ている。確かに視点は高いが、個人的身体条件、つまり目の機能や脳の処理能力に依存する。通路側で本を読んだり眠ったり、景色の価値を相対的に低く見る場合もある。
人間の身体も乗り物と捉えることができるとすると仮定ならば、もしも人生の出発地と目的地がまったく同じでも、同じ履歴を辿る人はいないだろう。この仮定が客観的に事実と証明されることはなく、個人の世界観に依存してどうとでも設定できる。人間は乗り物そのものかもしれないし、乗り物の運転手かもしれないし、乗客なのかもしれない。知らんけど。